沖縄で流通した – B円


3連休も、寒~くて出不精になっている方や、正月に出歩いたからこの週末は休養! の方もいらっしゃるのでは。そんなときに手にとって読む新聞、まさにリラックスできる瞬間でもありますよネ。 今朝の日経一面の「YEN漂流」は、日本で唯一 “外貨”(ドル) で生活した経験をもつ沖縄が翻弄した「円が消えた日」 ・・・ このシリーズの終着点が今から気になって仕方ありません。
…………………………
沖縄 ・・・ ここでは文字通り通貨が漂流を続けた ―― 沖縄の人々が使うお金の名前は三たび変わることになる。
第一幕は終戦から3年後の48年の 「円消滅」 だ。米軍が円の流通を全面的に禁止し、法定通貨をB円(ビーエン)に一本化したのだ。B円の正式名称は「B号円表示補助通貨」(米軍が軍費を賄うため発行した軍票の一種)。激しいインフレに苦しんだ本土だが、基地建設を急ぎたい米軍は資材を安く輸入できるように、円とB円の交換比率を「3対1」と円安・B円高に設定した。この結果、B円時代の十年で沖縄の本土からの輸入の伸びは、輸出の伸びを大きく上回った。
第二幕は「ドル化」だ。58年9月に米軍がB円流通を禁じ、法定通貨をドルに切り替えた――。 そして第三幕が72年の沖縄の本土復帰に伴う「円復活」だ。 「固定相場から変動相場移行の混乱期と重なった」――。 本土復帰交渉の時点では1ドル=360円の固定相場だったが、復帰まで一年を切った71年8月のニクソン・ショックで円高が進んだ。 復帰前、1ドル(360円)で済んだ宴会の会費は3000円に跳ね上がり、レストランでも1ドルだったステーキが1000円に値上がりした。 商品価格をドルから円に書き換える際に、悪質な便乗値上げも続発。本土復帰後一年の物価上昇率は17%に達した。
沖縄の人々の生活は、手にする通貨が変わるたびに、大きく揺れ動いた。 「度重なる通貨ショックにあった沖縄の五十歳以上の人は円という通貨にこだわりは少ない」――。 流通する通貨が目まぐるしく変わり、インフレなどで手元のお金の価値が急に下がる経験を繰り返した沖縄――。 日本の経済そのものを強くし、人々の円への信認を高めることこそが重要なことを、沖縄の経験は教えてくれる。(日経新聞朝刊「YEN漂流」・14日/一部抜粋)


バナーワイド

TOPへ