「怖くてトイレにいけなかった」


1985年9月22日 ・・・ 「“怖くてトイレにいけなかった” ―― 銀行ディーラーは、数分で2円、3円、一晩で10円動くのが当たり前で、取引ルールも分析手法もなく、頼りは勘と度胸だけだった」 ・・・ これは08年新春版日経 “YEN漂流” のワン・センテンスです。 “プラザ合意”、あの日から今日で23年も経つのですネ。
あらためて “YEN漂流”(特集「円140年、どこへ行く」-01/02のBlog) を読み返すと ・・・ 『85年のプラザ合意で、1ドル=240円台だった為替相場は1年で150円台まで上昇 ―― 日本は世界第2位の経済大国に駆け上がる。政府・日銀は円高対策の名の下に、公共事業などの財政出動や金融緩和に奔走。あふれたマネーは土地、株などの資産に集中 ―― そして、「バブル」と呼ばれる経済の過熱を招く。
日本が空前の“好況”に酔いしれている間に、世界は89年ベルリンの壁崩壊 ―― 東西冷戦終結とともに、旧共産圏諸国が相次ぎ市場経済に参入。グローバル経済が離陸 ―― 市場では、金融工学を取り込んだデリバティブ(金融派生商品)取引が急成長。ヘッジファンドが国を相手に投機を仕掛けるなど影響力を増し始めていた ―― 97年、右肩上がりの神話にあぐらをかいた日本では、バブルが弾け「ジャパンプレミアム」が急上昇。国内金融機関への上乗せ金利は0.3%に。11月の新聞では「山一証券、自主廃業」を伝えた――』
バブルに踊り、そして弾けて金融不安に襲われた当時の日本と、現在進行形の米国の姿はやっぱり重なり合って見えますね。



FXCAFE®NET    FXCAFE®JP    FXSPOT®NET    FXカフェ®談話室

バナーワイド

TOPへ